私は今年初めて、3.11生まれの人と出会いました。
(いや正確に言うと、初めてではないけれど)
しかもちょうど、11年前に生まれた人です。
3.11=重々しい雰囲気?
というイメージがあるのですが、
その子は指折り数えて、
自分の誕生日を待っていました。
それはそうだよね。
自分の誕生日は楽しみだよね。
そうして、3.11の今朝、いつもの0秒ルームでは
「今日は3.11だね」という話題が出ました。
知人や親戚を亡くした方もいて。
「まだやり残したことがある!」という方もいて。
そんな中、チャットで私は
「今日、誕生日の子がいる。私にとっては大切な日。その子にとっては、今日はとても待ち遠しく、楽しみにしてきた日です。
私は直接被災していないから、寄り添うことができていないと思う。申し訳ない。寄り添いたい気持ちはあります。」
と話すと、実際、被災された方が
「あの日に生まれた命はどんなに希望だったか」
とお返事してくださいました。
ありがたかったです。
不謹慎と言われても
仕方ない発言だったかもしれないのに、
「命=希望」だと返してくださる方がいるなんて。
私にとっては、
「大切な人が指折り数えて待っていた、
『おめでとう』と言われるのを
待ち望んでいた今日」だったのです。
「誕生日」という発言を
受け入れていただいたことに、
心から感謝すると同時に、
今日も
誰かにとって悲しい日であり、
誰かにとってうれしい日であり、
そうやって地球は回っているのだな
と思いました。
でもやっぱり、
11年前の「門出の歌」を練習していた
ピアノ伴奏の小6の子のニュース記事は
忘れない。
全く知らない子でも、違う場所にいても、
何年たっても、私は毎年、今日になると
その子のことを思い出す。
私もがんばろう。ピアノもがんばるし、
生きることをがんばる。忘れないでがんばる。
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