無題

よろしくお願いします。

男子・女子という言葉は差別ではない

昨日、すごくうれしいことがありました。

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いや、実を言うと、

講演会の質疑応答コーナーで

質問だったので、

 

そのうれしさに浸ることは

できなかったのですが、

 

 

帰宅してジワジワと、

 

「あぁ、すごくわかってもらえた。

うれしかった💕」

 

という気持ちになったのです。

 

 

 

 

 

 

司会「質問がある方、いますか?」

 

私「はい。今日はご講演ありがとうございます。

 

私は13年間、小学校教諭をしていて、

大学卒業すぐに教壇に立っていたころは、

何もわかっていなくて、

 

今、考えると、何も知らずに

嫌な思いをした子どもがいるだろうな と

思うと、

恐ろしくて申し訳ない気持ちでいっぱいです。

 

5年前、

育児休業中に『男女共同参画』に出会えました。

 

あ、でも『男女』じゃなくて、『共生』ですね😅

 

その後

クラス担任に復帰したとき、

『男子・女子』という言葉を

使わずに、

 

子どもたちと

生活できたんです。

 

…(後略)」

 

という言葉を発した、このとき!

 

 

マイクを持ってきてくださった特定非営利活動法人ReBit(リビット)の小川奈津己さんが

 

ニコニコ拍手して

喜んでくれたんです😃✨

 

 

※なつきさんはトランスジェンダー男性で、認定特定非営利活動法人ReBit(リビット)教育事業部マネージャー。元中高教諭。

 

 

 

「あ、あ!やっと、

 

育児休業中の私の成果、成長を

本当にわかってくださった方がいた」

 

とすごくうれしい思いで、今もいっぱいです。

 

 

 

 

 

「学校現場で男子女子なんたら〜」と

よく言うのですが、

 

多分、

どれだけ「男子・女子」という

言葉が使われているか

 

学校現場にいない人には

もしかしたら、わからないのかもしれない。

 

 

学校現場を離れたらやっと、わかりました。

 

 

日常生活では、

「男子・女子」なんて言葉は使いません。

 

本当に使わない言葉だと思う。

 

だから、学校現場以外の人に

なかなかわかってもらえないけれど、

 

 

 

学校現場では、

ほぼ毎日使う。

 

普通に、

普通に言っている👄

 

「嘘でしょ?」と思うでしょ。

本気で言ってます。

 

 

 

 

・「男子があと○人で、女子があと△人」

(カッコイイ柄の鉛筆を見て)

・「だれか男子がコレ落としてる」。

・「女子が姿勢が良い人が多いかな、では女子から静かに並んでください。男子も増えてきたね。」

・「うーんランドセルの並べ方は女子がキレイな並べ方の人が多いかも」

・「リレーの男子は誰だっけ?」

・「男子女子で同じ数になるように組んでね」

・「男子は元気がいいねー」

・「女子から先に廊下に並んでくれる?」

 

などなど…本当に言ってました。

 

 

 

 

なぜかそんなに

毎日のように使うのかというと、

 

・クラスの人数を2分割して行動するのに簡単な言葉だから

・1年生でも自分のカテゴライズがすぐわかるから

・自分だけでなく、他人にもわかりやすいから(↑ホントはわかりづらいんだけど)

・女子が男子の列に並んでいたら「あっちでしょ」と他の子が教えやすいから

・男女の脳のつくり、性質が違うので、日直などペアにしておくと互いの良さを補えて良い

 

 

など「小さな子どもが行動しやすい」という

メリットがありました。

 

自分がAグループか?1班か?

(友達の分までは覚えられないよね)

どこに所属するか覚えられない子は、

たくさんいても、

 

(学習班や給食班、係活動、体育のチームなどグループもたくさんありますので)

 

 

 

男子・女子のカテゴライズは

小さいながらも自分で、

そして友達からもわかるのです。

 

 

これらは

私が低学年担任が多かった経験からの見解。

 

 

 

 

つまり、「男子女子」とは

 

教師1人が、

6歳の子どもたち

35人を動かすときに

 

好都合。というか、

97〜90%の子どもに

すごくわかりやすい言葉。

 

 

として、差別とかではなく、

シンプルな理由で使われてきたのだと

思います。

 

(学校の活動で、時間のゆとりがないのに子どもたちの行動がたくさんある ということですよね。もしかしたら、1クラスあたりの子どもの人数を減らすことで、性の多様性も解消されるのでは?)

 

 

 

 

「男子・女子」という言葉を使うと

困る子がいることをわかったのが、

やっと5年前。

 

5年前ですよ。

もっともっと昔から教員してたのに。

 

私はそれが悔しい。

 

 

でも、その頃は男女という言葉を使うことに、

違和感を感じませんでした。

 

 

周りの先輩方々も違和感なく使っていたし、

「こんなもんだ」という雰囲気は蔓延していたし、

だからこそ私も毎日のように使っていました。

 

 

 

 

つまり、

 

 

 

麻痺。慣れ。

 

それから、

代わりの言葉を

もっていない。

 

 

今も「男子・女子」という言葉は、

差別という意味ではなく、

毎日のようについつい、

 

 

集団を行動させるときの「便利ワザ」 に

使われていると思います。

 

 

 

「男子らしく女子らしく」でなく、

「自分らしく」という意味がわかるだけで、

 

当事者だけでなく、

私もすべての考え方が楽になりました。

 

それはまた別記事でいつか。

 

 

 

 

 

 

男子だから、女子だから、

お母さんだから、お父さんだから、

「〇〇しなくてはならない」

 

という思考からの解放は、

自分も楽になり、他の人にも優しくなれる。

生きやすくなる。

 

↑これは、

シスジェンダー女性の私の感じ方です。

 

「子どもたちとの集団生活で『男子女子』を

1回も使わずに生活できた」という

 

4年前の私の成果をわかってくれた

なつきさん、

ニコニコよろこんでくれて、本当にうれしかった‼️

 

今も、そのよろこびをかみしめています。

 

本当にありがとうございます‼️

 

 

男女共同参画を知って、

教員に復帰できたこと 。

 

そして、

男女共同参画を知って、

子育てできていることは、

 

私や私の家族にとっても、

大きな財産だと思っています。

 

 

 

時間がたってから、

やってくるよろこびもあるんですね。